2018年1月22日月曜日

非日常と逃避

 書類仕事をしていても、どうも仕事をしている実感がわかないときがあります。
 1月から3月までは年度末に向けての仕事が詰まっており、マルチタスクで精神的に疲れるものの、充実感がありません。
 趣味の狩猟は実物主義で、成果が分かりやすいから惹かれるのかもしれません。

 タブレットなどの電子機器が普及しても、手仕事の趣味が無くならないのは、「実際に残る物」への安心感があります。

 自分の手で収穫するという点では、家庭菜園と同じプリミティブ(原始的)な要素。

 「精神的な疲れは肉体的に、肉体的な疲れは精神的に回復せよ」という言葉があります(喫茶店シュベールの教え)
http://splash.blog.jp/archives/51304256.html
 日常や仕事とは違う分野の趣味だからこそ、気分転換できるのかもしれません。

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 田舎をドロドロした方向で見ればこのようになる。

田舎の中高年『なぜ若者は田舎に戻らないのか』と話し合う→最後にはだいたい『近頃の若者が軟弱になったから』って結論に辿り着く
https://togetter.com/li/1186670

田舎でのモラハラがどうしても許せなかった話にさまざまな声が寄せられる「まさに精神的な地獄」「人間関係への甘え」
https://togetter.com/li/1186635

移住者はゴミ出し禁止、絶対の年功序列… 移住民が落ちた「村八分」地獄
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180103-00535075-shincho-life

 前向きかつライトに見れば、荒川 弘さんの漫画「百姓貴族」になる。
(漫画で描かれていない暗い部分を仄めかしていますが)

 田舎では車を持ち、刈払い機を使えることが大人として認められる最低限の証と仮定します。
 バンジージャンプがバヌアツの成人の儀式だったように、刈払い機の操作が大人への通過点。
 「モンゴルの田舎では馬に乗れて当然」とか、中東を描く漫画「乙嫁語り」のように、見方によっては外国とか異世界っぽく聞こえなくも無いです。

 そんな田舎では、獣に畑を荒らされたり、皮を齧られて枯れた木を見るのも日常です。

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 山賊ダイアリー以降のブームで狩猟をはじめた人もいるでしょう。
 しかし、現実の泥臭さや出猟に億劫になって、初めの更新まで至らない人も、一定の割合でいるかもしれません。
 都会の人が田舎暮らしに憧れるパターンに似ています。

 田舎暮らしも狩猟も、都会からの逃避で始めると、想定外の障害や、実際のギャップで苦しむ割合が多いような気がします。

 非日常への憧れから入る場合は、ある程度の困難を想定しているので、比較的落ち着くような?

 狩猟者数の推移を見れば分かりますが、昭和30年代の急増にしても、ブームだったと言えます。

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 狩猟は時間・お金・健康な身体が揃わないとできない趣味です。

 転勤族なので、数年おきに生活環境の変化があり不安定ですが、細く長くつづけていきたいものです。

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