不倫報道の是非のまとめがあった。
テレビのニュースも殆ど見ないし、雑誌や新聞も見ないのでどうでもいい。
テレビは一旦録画してからCMカットし、スタジオ部分をスキップして見るものになっている。
テレビはコンテンツ配信元としてであり、同時性や速報性はあまり求めていない。
事故や火事の報道も見たくないし、イベントに対しての一般人のインタビューも要らない。
動物園で赤ちゃんが生まれましたとか、季節のイベント、これからの行事予定などの前向きな情報が欲しい。
ニュースの閲覧時間はテレビ < ネットになっている。
娯楽やコンテンツが累積的に増える時代では、情報よりそれを消費する時間が貴重。
受け手のニーズから外れたり不快に感じる情報はノイズであり、個人の時間を奪う悪ですらある。
ラジオを聴きながら作業したり車を運転する習慣がある。
子供世代はテレビがついていると、つい見てしまって手が止まりがち。
情報過多の時代では、無視やスルーするチカラが重要になる。
アプリやネット小説、ネット漫画等の細切れ時間での娯楽に親しんでいると、2時間の映画は苦痛に感じるときがある。
子供はHDDに溜まった映画よりYoutubeのゲーム実況を選ぶ。 自分が子供のときもこんなだったっけ?
映画コンテンツを観るのに1万円の小遣いを渡したとしても、子供は使わないような気がする。
30年前に比べて娯楽コンテンツの分母が増え、それぞれの訴求力が相対的に減り、好みが細分化した。
例えばアカデミー賞を取ったような映画作品は、それなりのクオリティが担保されている娯楽だと思う。
しかし、それが無料であっても、数多の娯楽の中から選ばれない時代。
大作映画や監督をありがたがるのは、いつかはクラウン的な均一化された古い価値観なのかも。
「面白くなくても一般常識として観ておけ」と子供に言うが、自分で言っていても説得力がない。
自分も黒澤明の映画を全部見ていないし。
ニッチな娯楽であっても、ネット上に情報があったり、SNSで繋がりがあれば細く長く続くケースもある。
狩猟にしてもネット普及前と今では、状況が違うのだろう。 2000年ごろの狩猟ホームページってどんなだっけな。
キリ番ゲットの時代にホームページを作ったことがあるが、当時は狩猟に興味が無かったので記憶がない。
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Googleニュースはカスタマイズがいまいちで、見出しと写真が違ったりする。
写真をクリックしても、その写真が載っている記事に飛ばなかったり、記事とは違う写真があったりする。
Googleニュースで新しいカテゴリを作っても、漢字キーワードだと中国語記事が多すぎて意味が無かった。
ちょっと前にフィードバックで意見を送ったが、この1ヶ月ぐらいで解消された感じがする。
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ブログを見る習慣があるので、RSSリーダーは手放せないツール。
たまにブログ村を更新アンテナ代わりに使うが、玉石混合感がある。
気になるブログはRSS登録して、内容が薄いものは購読から削る。
コンテンツを消費する時間が貴重な時代にあって、無駄な改行や文章をセンタリングしているブログは、ユーザーフレンドリーではないし、自らハードルを上げている。
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情報をスルーするという点では、テレビに出ているタレントを意図的に覚えないようにしている。
どんなキャラで代表作が何でという情報。
この10年ぐらいのアイドルは顔と名前が一致しないが、全く不自由が無い。
CMも「世間一般で綺麗とされているタレントが出ているCM」であって、その人が出ているからとかは意識しない。
商品の質とコスト、手に入れやすさの方が重要。
芸能人は購買意欲のフックにならない。
ハードディスクレコーダーで一旦録画し、CMスキップして見る習慣なので、そもそもCMを見ることが減った。
AKBや欅坂のメンバーの顔と名前が一致する必要は無い。
刃物の鋼材の違いに世間一般が興味が無いのと同じぐらい、芸能に興味が無い人もいる。
学校でドリフの話題を皆がしていた時代ではないので、同調圧力は感じない。
そもそも社会人になって、テレビや芸能人の話題をリアルな生活でする場面がどれだけあるのか?
家族や職場でそんな話題になった記憶が無い。
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車社会の田舎で暮らしているので、普段、電車に乗る機会が無い。
たまに乗ると、走行音やアナウンスがうるさく感じられる。
テレビのCMやノイジーな情報番組を見る習慣がないと、それらがうるさく感じられるのと同じなのだろう。
チャンネルの1つとして、「消す」という選択肢があるのを忘れないようにしたい。
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多様な価値観を許容できるという意味では、隣人への関心が薄く、同じ価値観を見つけやすいネットや都会は、居心地が良いのだろう。
クラスタの細分化が断絶を生むかもしれない。
その情報が検索可能であれば、新たに興味を持った人と接触する可能性を秘めている。
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