2017年1月14日土曜日

村田銃の払い下げ

 村田銃についてネット上の資料を探してみましたが、wikipediaと個人サイトが詳しいと言う結果に終わりました。

 色々と検索しましたが、wikipediaが詳しいです。


-------------------------------
 諸説としては、こちらがあります。
http://www.piyoyonet.com/douraku/shoot/mukasibanasi.html
>(明治13年(1880年)から)十年もして先の十三年式が旧態化すると、明治政府は軍費調達の為に旧式となった十三年式のライフリングを半分刳り貫いて見かけ28番径の散弾銃として売り出しました。

>それに気を良くしたか村田氏は自分の設立した会社で引き続き売れ残っている十三年式を28~36番散弾銃として完全に刳り貫いたものや、今迄の半刳り貫きを全刳り貫きとする有償改造、はたまた最初から12~40番散弾銃として作ったものを売る他、市中の銃工房にライセンスを売って同型品やその薬莢等属具を生産販売させる権利売りもし、こうして広まったボルト式単発の散弾銃を村田銃と纏めて呼んでいるものです。
-------------------------------
http://www.cc.rim.or.jp/~matu-mik/gyoukairekisi(2).html
>わが国では明治13年村田経芳少将により、13年式村田歩兵銃が完成されたのが、近代的な銃として国産最初のものである。これは元折式ではなく、遊底を前後に操作して脱包・装填をする、ボルト・アクション銃である。この銃は後程三八(サンパチ)式が完成されると滑腔に改造して大量に猟銃として払い下げられた。

さらに明治14年、藩お抱えの鉄砲師(火縄銃)であり、のち砲兵工廠で村田少将の片腕となって働いていた松屋兼次郎氏が猟銃としての村田銃の製作をはじめた。

 松屋氏の後は、横浜の金丸謙次郎氏、東京の川口屋・川口亀吉氏、岡本光長氏などが工場を持ち、村田銃の製造をはじめ、外国銃の元折単身銃やニ連銃を模倣して国産元折式散弾銃の製造をはじめた。

 明治初年、陸軍の銃工として砲兵工廠に勤務していた宮田栄助氏も退役して宮田銃と称して村田銃の製作をはじめたが、後年自転車の製造に転向した。

 明治38年には、砲兵大佐有坂成章氏により村田銃が改良され三八式歩兵銃ができたので旧村田銃は、制式廃止されて散弾銃に改造されて民間へ払い下げられた。

-------------------------------
ファーイーストガンセールスのコラム
https://www.fareast-gun.co.jp/column/2013/05/qa-1.html
Q14 1/2ライフリングについて全ライフリング銃身だと散弾銃でも「ライフル」との解釈はいつごろからですか?
それまでに許可された銃があるとすればそれは「散弾銃」として許可されているのでは?
もっとも、ショットガンは散弾銃でライフルはライフルでいいんじゃないの?

 ライフルか散弾銃かの解釈は明治年間に確定されています、当時軍隊で使用していた村田銃を民間に払い下げる際、ライフルを半分除去して散弾銃として只みたいな値段で猟師に払い下げた事例があります。
 従って1/2ライフルは散弾銃という解釈が生まれたのです、逆に言うとライフルの定義はライフリングのある銃と言うことになっていますので、サボット弾を撃つ散弾銃が出現したときライフルになってしまった訳です。
 ご質問にありますとおり、ライフルはライフル、散弾銃は散弾銃というふうにしないと、現用のライフルのライフリングを半分除去して410番散弾銃と言ってまかり通っています現状を考えると、ふと考えてしまう事があります。

-------------------------------
 村田銃は明治13年(1880年)に採用
 有坂の作った38式は明治38年(1905年)で、軍用銃の切り替わりに伴い、村田銃が払い下げられたと思われます。
 
 軍用で使われた村田銃の口径は11mm。
 36番は11.3mm、28番は14mm、
 

 法律的にライフル銃が規定されたのは、昭和46年です。
 第065回国会 法律第四十八号(昭四六・四・二〇)でライフル銃(銃腔に腔旋を有する猟銃で腔旋を有する部分が銃腔の長さの半分をこえるものをいう)という部分が追加されました
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/06519710420048.htm

 明治や大正時代は古すぎて、何を持ってして散弾銃とライフル銃を分類していたのか分かりません。
 ライフル銃の所持は今ほど難しくなかったと思いますが、弾の入手や汎用性から、散弾銃が多く流通したのでしょうか?

 全日本猟友会の会報や雑誌「全猟」など古い紙媒体を読めば雰囲気が分かるかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿